身代わり片目蛙 / 木之本町
木之本地蔵浄信寺の大きなお地蔵様の銅像、その足元に積み上げられた蛙たち。昔、眼の病を持つ旅人を心配したお地蔵様が蛙に相談すると、蛙は喜んで片方の目を旅人に貸し与えたそうです。それ以降、蛙たちは信者の願いが叶うように片方の目を瞑っているのだと伝えられています。
鍋冠乙女 / 米原市
「伊勢物語」にて詠まれている日本三大奇祭のひとつ「鍋冠祭」。お祭りの際に授与されていた人形で、小幡人形初の創作物だといわれています。
腹帯馬 / 多賀町
多賀大社にて昭和45年~15年間ほど、安産の御守として授与されていました。当社はイザナギ、イザナミの国生み二柱を祭神とする近江屈指の社で、馬は一番のお使いです。
近江達磨 / 能登川町
大正末期に寺井大門氏によって始められた張子の起き上がり小法師。絶妙な困り顔の男だるま、福々しいおたふく、青と緑の裾模様は琵琶湖と葦を示しているという姫だるま。斬新なデザインと色彩はとても魅力的です。
小幡人形 / 五個荘
江戸時代から続く。現在小幡人形に残る型は580種類余り。その中から三味線猫を選びました。猫の皮を張った三味線を弾く猫。その横は義太夫(浄瑠璃)を語るネズミ。小幡の創作物は知的な皮肉にあふれていて面白味があります。
ミニ大凧 / 八日市市
江戸時代末期から男児の誕生を祝う凧揚げが流行。八日市市では凧が大型化し、最大で240畳が揚げられました。凧の上部には生物を描き、下部には縁起の良い文字を赤で書くようになったそうです。こども達が楽しんだのはミニチュアで、お土産物としても作られました。
左義長山車 / 近江八幡市
日牟礼八幡宮の例大祭「八幡まつり」大型の左義長がモチーフとなっています。左義長は新藁で三角錐の土台を組み、上に青竹を据え、朱紙、短冊や縁起物で飾ります。忠実に再現して玩具化されています。
猩々 / 守山市
江戸中期から災いをもたらす痘神が赤色を忌むとの俗説から疫病を防ぐ行事が行われました。明治以降行事が廃れる中、草津~野洲周辺まで続いたのが猩々の人形を祀る風習です。乳児初回の予防接種時、人形に痘厄を移した後、川などに流したそうです。
ピンピン鯛 / 草津市
かつて草津市で女児が誕生すると母方の里から送られた張子。台車を押すと腹ビレが動きます。草津張子としては見られなくなりましたが、昭和56年びわこ国体の際に昭和天皇へのお土産として復活、献上されました。
ピンピン馬 / 草津市
かつて草津市では男児が誕生すると母方の里から送られた張子。赤色は厄除けとされ、赤馬のように元気で健康に育つようにとの願いが込められていました。台車の中のピアノ線が張られており、馬を動かすと頭が上下に動いてピンピンと爽やかな音を出します。
狸 / 信楽
京都の月の名所である音羽山では満月の夜、狸が集まり腹鼓大会が行われたという説があります。清水焼の陶芸家が形にしましたが売れませんでした。昭和7年、信楽で再び作陶したところ人気に。「信楽狸八相縁起」として狸の部位にはそれぞれ意味が込められています。
大津祭諸玩 / 大津市
天孫神社の大津祭は国指定重要無形民族文化財です。華麗な曳山13基が祭囃子を奏でて氏子町を巡行し、各山固有のからくりを披露し、厄除けちまきを撒きます。現在は残念ながら祭にちなんだ玩具は存在していません。
大津絵首人形 / 大津市
大胆な筆勢とデフォルメが特徴の大津絵がモチーフになったユニークな人形です。大津絵の画題は仏画から藤娘、鬼の念仏へと変化し10種類ほどに定着しました。人形は個性豊かで大津絵本来の風趣を見事に表現しています。
土鳩 / 大津市
西大津の宇佐八幡宮では節分になると「こどものお預け」と称して土鳩をいただきます。15歳までのこどもの名前と年齢を記して奉納し、無事成長を祈願します。また癇虫がついた時には社に詣り、土鳩をいただいて家の神棚に癇虫封じとして祀ると治癒すると伝えられています。
かざぐるま / 高島市
白髭神社の白髭祭・別名「なるこ祭」ではこどもが2歳になると参詣して仮の名前をもらい、無事生育を祈願しました。風車は祭礼当日のみに授与されました。白髭の神は風車に宿ってこども達の家へと向かわれたといわれています。
長浜曳山 / 長浜市
長浜曳山は長浜八幡宮の祭礼で重要無形民族文化財にも指定されています。豪華絢爛な山車の巡行、山車の上で演技するこども歌舞伎。曳山を模して玩具を制作し、露天に売り始められたのが誕生のきっかけとなりました。
お花狐 / 長浜市
お花狐は長浜の恩人との伝説があります。移転話があったお寺の屋根裏に住む狐が娘に姿を変えて人々の心を掴み、移転は白紙に。大通寺の門前町として町並みを形成しました。その伝説を元に大津市の作家によって土鈴が制作されました。
羽子板 / 竹生島
琵琶湖の北端、竹生島は日本三大弁天のひとつとして有名な信仰の島。かつて羽子板はお土産物として売られていました。謡曲「竹生島」の一節を意匠化。背面には島影や松竹梅が描かれ、シンプルな中にも古雅な味わいのある玩具です。
馬ぐるま / 彦根市
彦根の商屋では家督を継ぐ息子のお宮参りの際に、母方の親元から台車のついた木製の馬の人形を贈る風習がありました。注文による手作りであることから、簡素なものから漆塗の高級品まで全て一点もの。お宮参りの後は主に節句飾りとして使われたそうです。
身代わり鈴 / 甲良町
湖東三山のひとつ西明寺で授与される土鈴は灯籠を模った人形。埴土の素焼きで彩色はなし。壊れやすく作ってあるようで、それを持つ者は災厄を逃れ土鈴が身代わりとなってくれるのだそうです。
びんてまり / 愛知川町
愛知川の「びん細工手毬」はびんの中に球状の糸手毬がすっぽり納まっています。かつて湖東地方では嫁入り道具に自らが製作した手芸品を「一人前」である証として持参する習わしがあったそうです。器用さを婿家にアピールするための道具のひとつでした。
千体地蔵 / 湖東町
湖東町勝堂の地蔵堂に土製の千体地蔵が祀られています。石造のお地蔵様を中心に左右に500体ずつ、上段に「おおぼとけ」下段に「こぼとけ」が並んでおられます。先祖供養のために奉納されています。小幡人形の細居家により追補されています。小幡人形発祥の人形といわれています。
永源寺こけし / 永源寺町
永源寺町は木地師発祥の地といわれます。こけしは東北地方にたどり着いた木地師がこども達のために余暇に作ったのが始まり。「永源寺こけし」と銘打って小椋氏が注文製作を始めました。胴体には白い茶の花や紅葉をあしらい、永源寺らしい特色が生まれつつありました。
田家 / 湖南市
大正9年、宮中歌会始勅題「田家早梅」から近江に2つの工芸品が誕生しました。湖南市下田で作られた竹皮細工の田家は早春。勅題にちなんだ「田家の早梅」という新作菓子のパッケージとして考案され、今では小物入れとして使用されています。
葛籠 / 水口
古い城下町の水口町では昭和40年代まで日用雑貨の葛籠や小さくて美しい彩の花籠が作られました。
材料はアケビ蔓や藤蔓の他に経木や細竹も使われた。明治時代「水口細工」として輸出され、小物入れなどとして人気を博しました。
観音正寺の人魚 / 安土町
珍しい人魚モチーフの郷土玩具。安土町にある観音正寺の開創にまつわる伝説を元に小幡人形で作られました。昔、聖徳太子が近江国を巡られた際に琵琶湖のほとりで呼び止め、悩みを打ち明けた人魚がいたそうです。その願いを受け入れ、建立されたといわれています。
斗鶏太鼓土鈴 / 大津市
近江神宮は天智天皇が祭神です。6月10日「時の記念日」は時間を尊重し、規則正しく生活をしようという日。かつて天皇が大津京に水時計を造り民衆に時刻を知らせたそうです。そのことから記念日には漏刻祭が催されます。授与品として、十二支が刻まれて魔除けといわれる鈴が入った玩具が生まれました。
初詣諸玩 / 大津市
建部大社の祭神は日本武尊。父は尊の功名を永世に伝える御名代の鎮護神として当社を創建しました。初詣(三が日限り)は各種縁起物が授与されます。福笹や破魔矢、神面と護符をつけた熊手などが人気です。
白髭の土鈴 / 大津市
白髭神社は比良山地の北端が琵琶湖に沈み込む明神崎に鎮座する古社です。祭神は猿田彦命。本殿の正面には宮島さながら湖中に朱塗りの大鳥居。授与品として土鈴が2種類あります。災難除けの神宝を模った古型勾玉鈴と延命長寿祈願の尉と姥の鈴です。